合氣道真生会川崎高津道場 活動報告
2025.12.10
納会を開催しました
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納会は、いつもよりは少し早めに稽古を終えた後(いえ、いつもが延長し過ぎなのです...すみません...)、高津駅近くの「サンマイメ」という居酒屋さんで開催しました。今年の夏に開店したばかりのお店で、お邪魔するのは今回でまだ2回目ですが、お料理がおいしく、ちょっと変わったメニューなどもあって高津道場の皆さんには好評です。道場のすぐ近くにこういったお店があるのはありがたいです。いつも通り、濱田耀正師範長にもお写真でご参加いただきました。自分のビールを濱田師範長にお分けしようと空のグラスを頼んだところ、お店の方が察してくださり、小さめのグラスで別のビールを用意していただきました。ありがたいお心遣いです。。2時間ほどの宴でしたが、皆さんよく食べ、よく飲み、合氣道の話の他にもそれぞれのお仕事のことや食べ物やお酒の話、いわゆる世間話などなど、たくさんのお話をして楽しいひと時を過ごすことができました。道場の皆さんにもお店の方にも感謝です。
川崎髙津道場は今年の夏ごろから新たに数名の仲間が加わり、ちょっとにぎやかになりました。熊本の本部から遠く隔たり、小さく、目立たず、正規の道場長も存在しない、何もかもが不満足な道場で大変心苦しくも思いますが、共に長く稽古を続けていけたら嬉しいです。

この日の技の稽古のメインは正面打ち三ヶ条裏でした。ここしばらく、正面打ち一ヶ条、二ヶ条、そして三ヶ条と基本技を集中的にしっかり稽古していますが、これは川崎髙津道場においてはかなり珍しいことです。たまたま、最近新しく入った方が多く、順番的にちょうど正面打ちシリーズが周ってきたところだったので、基本技を稽古するのによい機会だと思ったのです(川崎髙津道場の技の稽古はふつう数回ごとで「片手取りの技」→「正面打ちの技」→「両手取りの技」→「突きの技」→...といったまとまりで行っています)。
真生会には先師から受け継いだオリジナルの技が膨大にあるため、自分などはついついそちらの方に気持ちが向かってしまい、なかなか一般的にいう「基本技」を練習する機会が巡って来ることがないのです。そのためこれまで川崎高津道場に在籍した方々もあまりこうした「基本技」をちゃんと覚えられていなかったのでは...という反省がありました。川崎髙津道場の中だけで稽古している分にはそれでもあまり問題はないのですが、他の道場で稽古する機会などがあると、それでは困ることもあるでしょう。
特に正面打ち二ヶ条と三ヶ条の裏表は基本技の中では手順が多く、慣れない方はちょっと覚えるのが難しい技だと思います。実際に新しい仲間たちは大変そうにしています。まぁ、入ったばかりの方はすぐに全て覚える必要はありません。これから時間をかけてゆっくり覚えてくだされば構いません。
この日の正面打ち三ヶ条裏の稽古


それに、実際に難しいのはむしろシンプルな呼吸技などです。「覚えるのが難しい技」と「行うのが難しい技」は同じではありません(中には覚えるのも行うのも難しい技もありますが...)。二ヶ条や三ヶ条、四方投げ、小手返しのような技は形さえ覚えれば(少なくとも稽古の中では)ある程度の効果を発揮します。しかし、どこの関節を極めるでもなく、投げる準備として自分が有利な位置を取りつつ相手が倒れやすい体勢に持っていくわけでもなく、例えば手を取らせた状態からただストンと手を落として相手を下に崩す、とか、その場から重心を浮かせて先に導いて投げる、といった呼吸技を無理なく(※力を使わず相手に負担がかからないように)効果を発揮させられるようになるには、ふつう何年、何十年という研鑽が必要です。それどころか何十年と稽古を続け、高い段位を持っている方でも本当の意味ではできていない方が少なくありません。呼吸力の修業はそれだけ困難で、長く険しい道のりではあるのですが、それだけに練習のしがいがあり、少しできるようになってみると、とても楽しいものだと思います。
呼吸技の稽古
それにしても、20年ほど前に熊本で先師に正面打ち二ヶ条裏を教えていただいた際に感じましたが、多くの技をよりシンプルに変化させていた先師にしては、この二ヶ条は随分しっかりした形で行っているという印象を受けました。一、三、四ヶ条も同様です。その形は現在の合気会などで行われている形よりも、開祖がご生前に行っていた形によく似ていると感じます。
昭和13年(1938年)に開祖が著した写真入りの技法指導書「武道」に掲載されている形に近いと感じるところも多く、基本技に関して先師は若き日に開祖から直に教わった形を忠実に残していたのかもしれないと感じます。先師が内弟子として開祖に入門したのは「武道」の発行から4年しか経っていない昭和17年(1942年)のことです。
現在、合気道を稽古している多くの方にとって開祖の存在は縁遠いものになっていると思います。しかし、自分たち先師の教えを受けた門人たちは、開祖について多くのお話を伺い、開祖から教わった技をご指導いただくことで、どこか開祖の存在を実体的で身近に感じているように思います。失礼を承知で例えるならば、生まれる前(ないし物心がつく前)に亡くなった祖父のような存在といったところで、両親や親戚から何かと話を聞かされ、お墓参りをし、写真や遺品を見せてもらうことでちゃんと存在を感じ取り、自分とのつながりを意識できるといったことと同様かと思います。全ては先師、そしてその教えを自分たちに伝えてくださった濱田師範長のお導きがあってのことで、本当にありがたいことです。
自分が今の場所で活動を始めてこの秋で12年、学生の頃に稽古を再開してからは来春で30年になりますが、残念ながら自分個人として成し得たことはほとんどないように感じています。この先いつまで合氣道を続けられるかはわかりませんが、何はなくとも、先師と濱田師範長がそうであったように、最期まで開祖の遺された合氣道の精神、即ち和合の精神に即して仲間たちや他道場の方々と稽古を続けていくことができたらありがたいと思います。
何卒宜しくお願い致します。
合氣道真生会川崎髙津道場 吉見新
〜 おまけ 〜
現在、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)氏と妻のセツさんをモデルとしたドラマが放送されていますが、二人は1891年(明治24年)に島根を離れて現在合氣道真生会本部のある熊本に移転し、3年ほどを過ごしています。そこで八雲氏は熊本第五高等中学校(熊本五高/熊本大学の前身)の英語教師を務めました。その時の校長が柔道の創始者であり、後に開祖とも深い親交を持つ嘉納治五郎氏です。
自分はこれまで多くの熊本大学(以降「熊大」と略します)合氣道部出身の方々と共に稽古してきました。以前に川崎高津道場に在籍し、今は熊本駅前春日道場の道場長である緒方稔師範代も熊大合氣道部の部長だった方です。熊大で開催されていた九州の大学合氣道部の合同合宿で先師が指導された稽古にも参加させていただいたことがあります。熊大の合氣道は間違いなく自分の合氣道の一部になっていると思います。熊大は先師や濱田師範長が指導されていた本部道場のお膝元ですから、お二人共にしばしば大学に指導に赴かれていましたし、学生さんもよく本部道場の稽古に参加していました。
熊本市内の中心部にあった八雲氏とセツさんが過ごした住居は復元保存されて一般に公開されていて、自分も何度か見学させていただいたことがあります。八雲氏は熊本には気に入らないところもあったようですが、この建物は質素で落ち着いた平屋の日本家屋で、自分にはとても住みよさそうなお住まいに感じました。特に、裏庭に面した部屋の隅に置かれていた八雲氏の机は、横から柔らかく外光が差し込み、とても気持ちよく雰囲気のよい空間でした。熊本はその他にも夏目漱石や西郷隆盛、宮本武蔵など多くの歴史上の有名人の足跡が残る土地で、古墳時代の個性的な遺跡なども存在し、歴史好きの方々には興味深い土地ではないかと思います。
小泉八雲旧居(熊本市)

〜 おわり 〜