合氣道真生会川崎高津道場 活動報告
2022.03.02
小戸神武会合氣道の講習会/武道と平和
2022年2月27日(日)、新宿スポーツセンターで開催された小戸神武会合氣道の講習会に参加しました。
宮崎が本部の小戸神武会合氣道については何度も書いていますが、自分たちの合氣道真生会とは同じ会派から生まれた近い親戚のような団体で、度々川崎高津道場にご来訪いただいている片山先生(四段)が所属している団体です。小戸神武会合氣道の講習会は、以前は年に2~3回、東京の立川方面で開催されていて、自分も数回参加しています。片山先生ともそのご縁で知り会いました。
片山先生と神部さん (2/20 川崎高津道場)
今回は諸事情で新宿での講習会となり(自分的には立川より交通が楽で助かりましたけど)、講師は兒玉師範(六段)で、片山先生と先日川崎高津道場にいらした神部さんも参加されていました。稽古は13時から15時のきっかり2時間で、礼拝、体操から始まり前半は主にシンプルな呼吸技、後半はやや応用的な綾取り入身投げ、横面打ち四方投げなどを行いました。技の形などは真生会と同じものがベースですが、微妙な違いはありますし、普段と違う方々が相手なので特に初めのうちは少し力が入ってしまい、後で久しぶりにちょっとした筋肉痛になりました…^_^;
でも内に籠らず普段と違う環境でいろいろな方と稽古することは、とてもよい経験になります。
兒玉師範、参加者の皆様方、ありがとうございました!
さて、今回の会場となった新宿スポーツセンターがある「戸山公園」は合氣道と少なからずご縁のある場所です。戦前の頃ここにあった陸軍戸山学校には開祖が請われてしばしば出張指導に訪れていたそうです。実はその30年ほど前、開祖ご自身も青年期の兵役中に上官に資質を見込まれてこの戸山学校に入校して正規の軍人になることを勧められたことがあったそうです。
更に時を遡り、江戸時代のこの地は御三家筆頭、即ち徳川幕府に属する大名の中で最高の格式である尾張徳川家の広大なお屋敷でした。その庭園には東海道の景観が再現され、小田原宿をイメージした町並みを造り、イベント時にはエキストラの町人まで配置したそうです。正に江戸時代の一大テーマパークです。11代将軍、徳川家斉公もここを訪れて大変楽しんで行ったとか。征夷大将軍と大大名である尾張藩のお殿様が模擬店でお買いものごっことかしてキャッキャしていた様子を思い浮かべるとちょっと微笑ましいです。
大名庭園の景観 (二条城:京都)
江戸時代の宿場の様子 (保土ヶ谷宿:歌川広重)
そして、開祖が門弟の下條小三郎氏から教り、合氣道に少なからぬ影響を与えているであろう柳生新陰流剣術はその尾張藩で継承されたものです。柳生新陰流剣術は江戸初期から徳川家のお抱え剣術となり、主に江戸と尾張(今の愛知県)で伝えられましたが、江戸柳生は後に衰退し、近代以降は尾張柳生が主流となりました。尾張の柳生新陰流道統には柳生家の名の他に尾張徳川家の名がいくつか見られ、現代で言えば名誉会長的に尾張藩主やその一族が宗家の座につくことがしばしばあったようです。
川崎高津道場が始まったのも実はこの新宿スポーツセンターです。自分は10年ほど前にしばしばこの新宿スポーツセンターで仲間と自主稽古をしていて、その仲間と後に川崎高津道場を開きました。
先師が亡くなって数年を経て久しぶりに濱田師範長にご指導いただいたのもこの新宿スポーツセンターでした。その後の懇親会で、何の根拠もなく「真生会の支部を一つ増やします!」と宣言しましたが、それから間もなく川崎高津道場を開設できたのは(2013年11月)、当時の仲間の積極的なご協力があってこそで、今でも深く感謝しています。
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講習会の後は、自分は川崎高津道場の稽古に向かいましたが、その途中の渋谷駅前ではロシアによるウクライナ侵攻反対する人々が大きな声を上げていました。
2022年2月24日、ロシア軍は隣国のウクライナに侵攻、現在までに数百人の民間人が死亡したと報道されています。
他国に対し、政治的な都合で一方的に武力侵攻し、さらには民間人を殺戮する行為は決して許されるものではありません。かつて日本も大陸での利権維持・拡大を求めて中国と衝突し、その結果国際社会で軋轢を起こし、アジア太平洋戦争の泥沼へと突入して行きました。
合氣道開祖植芝盛平翁先生は戦争が繰り返された時代を生き、強く平和を望んでいました。その精神は合氣道の根源を成すものです。
ロシアのプーチン大統領は柔道の愛好家としてよく知られ、国際柔道連盟より最高レベルである「八段」を授与されているということですが、柔道の根本である「自他共栄」の精神とはなんなのでしょう。
合氣道真生会川崎高津道場 吉見新