合氣道真生会川崎高津道場 活動報告
2025.09.13
片山先生、若原さんご来訪
2025年8月31日(日)の稽古に、合氣道小戸神武会東京支部道場の片山道場長(四段)とその門下の若原さん(五級)がご参加くださいました。
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合氣道小戸神武会は宮崎県を本拠地とし、合氣道真生会と同じく先師の門下にあった方々が設立した団体です。自分(吉見)は小戸神武会の方々とは以前から交流させていただいており、東京支部道場長の片山先生は既に何度も川崎高津道場にいらしてくださっていますし、一緒に演武会に参加していただいたこともあります。もうお一方の若原さんは入門して一年ほどということで、今回初めてお会いしました。まだまだ残暑の厳しい中(というか、まだ正に酷暑の真っただ中)、川崎高津道場のような辺境の零細道場にわざわざいらしてくださって本当にありがたい限りです。
稽古は誠に僭越ながら自分が進行を務めさせていただき、礼拝、体操、体さばき(徒手一対一、対多数者)、呼吸力の練習と通常の流れで進めさせていきました。その後の技の稽古は、川崎高津道場がこの7月以降に入門したばかりのまだ経験の少ない方が複数いてあまり形の難しいことはできない、といった事情もあり、両手取りの座り技、立ち技で呼吸力主体のシンプルな技をいくつか行うことにしました。
まぁ、実際にはそういった技の方が実行するのは難しいのですが、かと言って「正面打ち二ヶ条(二教)」や「片手取り四方投げ」といった基本技を取り上げて「形を覚えるだけの練習」にしてしまっては、せっかく片山先生、若原さんがいらしてくださっているのにもったいないと思いましたので。案の定、どうしていいかさっぱりわからない…といった様子でピタッと動きの止まってしまっている方もいましたが、それでもなんとか力を抜いてやってみよう、という真摯な姿勢を見て取ることができました。今はまだできないことをできるようしていこうとするのが稽古ですから、「できない」ことを知るのはとても大切なことです。それよりも、見た目だけ似ているようで全く違うことをして「できたつもり」になってしまう方が大問題です。その状態が何年も続けばもう取り返しがつきません。自分は今はまだ何もできなくても、どこまでも先師と濱田師範長が目指した真の技を追い求めていきたいと思っています。
「呼吸力」という言葉は、合氣道界全体で広く用いられています。しかし、その解釈や行い方は団体、道場、指導者によって大きな違いが見られます。多くの場合は自分の中心の力を無駄なく効率的に活用して相手を上回る大きな力を生み出すことを表しているように思われます。一方で、先師が開祖の教えを元に生み出し、濱田師範長が受け継いで我々に伝えようとしておられた呼吸力は、受けた側が力学的な力を感じないままにフワフワ体が軽くなり、自然に体勢を崩してしまうような他の方々とは大きく異なる理法でした。
合氣道を稽古している方々で、自分が力(表面的な筋力)を使わないということは考えていても、「相手にも無理を感じさせない」ということについて十分には意識していない方が多いように感じます。力と力は反発し合いますし、力で無理やりどうにかされた相手は敵対心を抱くこともあれば、負傷することもあるかもしれません。それは合氣道の根源である「合氣とは愛なり」という精神に反することです。
自分は、自分も相手も無理をしない、お互いが楽な状態であってこそ、本当の呼吸力ではないかと考えています。安易な筋力とは違う、自分の中心の力や、体重移動、姿勢、梃子の原理などなどを活用した力であっても、相手がそこに力を感じたなら、それは我々の目指すものではありません。もしそういった力で相手を動かしたり押さえたりすることができたとしても、その時の自分は「敗者」です。それは、「力でどうにかしてやろう」という闘争心、自分の方が相手より上位であることを示したいといった欲望のような、自分の邪な心に敗れてしまっているからです。先師は、「勝つとは己の争う心に勝つことである」、「無敵とは、誰とも敵対しないことである」と言っておられました。闘争的な勝敗の世界を超越し、真の和合の精神を体現したものでなければ我々の目指す呼吸力ではないのです。
力のぶつかり合いによる勝敗の追及は、更なる闘争と破壊の繰り返しにしかつながりません。かつての日本は軍事力によって他国を侵略して領土と資源を獲得しようとし、そうして生じた外交問題をやはり軍事力によって解決しようと破壊と殺戮を繰り返し、それが東京大空襲、沖縄地上戦、広島、長崎への原爆投下といった惨劇を呼び起こす結果となってしまったのです。
戦争が終わり、日本にかりそめの平和が訪れても、敵対した相手への憎しみ、戦傷病者、遺族への補償、原爆病、各地の基地問題などなど、戦後80年を経た現在にまで及ぶ数々の大きな問題が残されており、決して戦争が優れた問題解決の方法ではないことを明瞭に示しています。勝者となったアメリカ、イギリス、中国、ソ連といった国々も数多の人命と資財を失い、大きな傷を負いました。そして、世界のそこかしこではいまなお戦争、紛争が繰り返されており、その背景を辿るとアジア太平洋戦争を含む第二次世界大戦やそれ以前の戦争から尾を引いていることも多く、結局は闘争が更なる闘争を呼び起こすことが繰り返され続けているのです。
(広島の原爆で亡くなった当時13歳の少年が遺した金属製の弁当箱)
(英連邦戦没者墓地:横浜市)
合氣道開祖、植芝盛平翁先生は、アジア太平洋戦争(1937-1945)の始まる20年以上前の大正十年代(1920年代:開祖40歳頃)には、既に「武の根源は万有愛護の精神である」という思想に到達していたとされています。開祖は戦前のころ多くの陸、海軍人を門下とし、求められていくつもの軍関係機関の指導に赴いていましたが、戦争が終わった際には、「これから本当の合氣道ができる」と語ったと伝えられています。開祖が合氣道をどういうものにしたかったか、合氣道で何をしたかったかということは、ご自身の詠まれた「合氣にて、よろず力を働かし、美わしき世と、安く和すべし」という道歌によく表されていると思います。
合氣道真生会と合氣道小戸神武会とでは、既に理法、技法においてだいぶ違いも見られますが、同じ先師の流れを汲む合氣道として、片山先生にも若原さんにも、真の合氣道を追い求めて稽古を続けていって欲しいと願います。
「今日は早めに終らせる」とういう稽古前の宣言はいつのまにかどこかにふき飛んでしまい、予定の時間を30分ほどもオーバーして稽古を終え(全ては自分が悪いのです…)、バタバタと片づけと着替えを済ませ、高津駅前の「サンマイメ」というお店に移動して懇親会を開催しました。参加した7名中、4名が初めて席を共にする方々でしたが、様々なことに話がはずみ、よく食べ、よく飲み、とても楽しい時間を過ごすことができました。こちらの方も予定の時間をだいぶオーバーしてしまい、一番お住まいの遠い片山先生には大変申し訳ないことをしました。でもお陰様で自分も川崎高津道場の皆さんもとても有意義で楽しい時間を過ごすことができました。
片山先生、若原さん、川崎高津道場の皆さん、本当にありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します!
合氣道真生会川崎高津道場 吉見新