合氣道真生会川崎高津道場 活動報告

2023.07.11

濱田耀正先生

2023年6月15日にご逝去された合氣道真生会代表・濱田耀正(はまだ てるまさ)先生八段・師範長)の人生は、正に合氣道と共にあり続けた生涯であったように思われます。

稽古会で指導する濱田先生

濱田先生の演武 (多数者掛かり)

濱田耀正先生は、昭和25年(1950)に東京都立川市で生まれ、幼少期に熊本に移転、高校3年生の時(1967ごろ)に合氣道に入門されています。熊本市内中心部のすぐ近くにあったその道場は、合氣道開祖・植芝盛平翁先生より九段を允可され、九州師範長を任命されていた高名な指導者(先師(1923-2010))が昭和30年(1955)に開いた道場で、濱田先生は大学生になると内弟子となり、以後およそ40年に渡りその道場に住み込みで修業することとなります。

その間、日々の稽古(月~土、毎日朝昼夕の三回)に加えて幾多の演武で先師の相手役(受け)を務め、特に数十本ある剣対剣、杖対剣といった武器の演武は呼吸を合わせるのが難しいことから、長らく濱田先生一人が相手役を務めたということです。それらの演武の映像はネットでも広く閲覧され、海外の合氣道修業者、合氣道以外の武道・武術関係者からも賞賛を受けています。

濱田先生の演武 (剣技)

先師は三冊の技法書を世に送り出していますが、そこに掲載された合計300通り以上の技法、稽古法の写真の全てで相手役を務めていたのも濱田先生です。先師が高齢になると道場での日々の稽古、更に関東など遠隔地での演武や講習会での指導は濱田先生に任されるようになり、数十人いた師範(六段以上で諸条件を満たす指導者)の筆頭として「師範長」という称号を与えられます。

先師の内弟子となった門人は濱田先生の前後に少なからずいたそうですが、ほとんどは数年以内の短期間であったようで、濱田先生の「40年」というのは圧倒的に飛び抜けています。先師の厳しい指導に加え、電気は通っているものの、水道もガスもなく(水は隣の神社からバケツでいただいていました)、隙間風が入り放題の古風な道場での生活は、普通の人ではなかなか長く続けられなかったのも道理です(注:昔話ではなく平成半ばまでそうした状況でした)。そうした艱難辛苦に耐えながらも先師の間近でその技にふれ、言葉を聞き続けた経験値は計り知ることができません。

しかも先師の技は年々変化し続けました。「技は変化していくもの」というのは先師の持論であり、実際に映像や書籍で見るお若い頃と、自分がよくご指導いただくようになった70歳代以降では技の行い方が大きく変化しています。おそらく性質(感覚)も同様でしょう。お若い頃の映像では相手を「グンッ」と強く動かしているようにも見えますが、自分が教わったころの先師は相手を「フワ~っ」と導くような感覚で、その変化は晩年まで続きました。全ては「合氣とは愛なり」という合氣道の根本理念にふさわしい技を追い求め続けたが故です。そして濱田先生は一時期の先師のスタイルを模倣して「これでよし」とは納まらず、最後まで先師の変化を追い続け、その意味するもの、目指したものを探求し続けていました。そして2010年(平成22)に先師が87歳で亡くなると、翌2011年に志を共にする先師の門人たちと共に「合氣道真生会」を設立し、先師から受け継いだ技と心の研究と普及に尽力されました

濱田先生の技は、投げ技にせよ極め技にせよ強引な力を感じさせないもので、瞬間的に重心を浮かされてそのままスーっと体勢を崩される感覚は「不思議」としか言いようがありませんでした。それは正に先師が最後まで求め続けた合氣道を受け継ぐもので、自分はいくつかの合氣道会派の稽古や講習会に参加した経験がありますが、そうした感覚はどの合氣道でも感じたことがありません

自分(吉見)が濱田先生に初めて対面したのは、おそらく1997年(平成9)ごろ、自分は20歳過ぎ、濱田先生は40歳代後半の頃だと思います。自分はその前年の1996年、大学入学を前に子供の頃に通っていた神奈川県の道場に再入門し、翌年に初めて系列団体の本部道場があった熊本を訪れたのです。その本部道場というのが濱田先生が内弟子として住み込んでいる道場でした。その後、年に1、2回の頻度で熊本を訪れるようになり、「遠くから来ているのだから」ということで親切にしていただけるようになりました。本部道場での稽古の合間に行くところがなければ一緒に事務所で休憩し、夜は度々お食事に誘っていただきました。もちろん、初期のころは支部道場の末端会員である自分にとって本部道場の師範であった濱田先生は雲の上の存在であり、大変緊張してろくに会話もできませんでしたが…。

考えてみるに、数十ヶ所あった九州の支部道場の一般会員の方々よりも、自分は濱田先生にご指導いただく機会が少し多かったであろうと思います。というのも、先師のご生前には月に一度、主に熊本で講習会が開催されており、九州各県を主とする支部道場、大学合氣道部から毎回50~60名ほどの門人が参加していましたが、九州の支部道場の方々は日帰りで移動できるので、当日に来て先師が指導される講習会にのみ参加して帰るのが普通だったのです。一方で神奈川県に住んでいる自分はそう簡単にはいきませんから、前日、または前々日に熊本に移動し、本部道場の通常稽古に二、三度参加してから講習会に臨むのが普通でした。その本部道場の通常稽古を指導されていたのが濱田先生です。逆に濱田先生が関東地方に演武やご指導に来られた際には説明演武の相手役を務めさせていただけるようにもなり、得難い経験をさせていただきました。そうしたつながりから、自分は2013年(平成25)に濱田先生が設立された合氣道真生会の門下に入り、川崎高津道場を開設させていただくこととなったのです。

平成28年(2016)新年会 (熊本)

真生会の門人となってからも濱田先生には大変親切にしていただき、稽古に行けば本部道場の方々とは別に個人指導をしていただけることもありましたし、度々お食事などもご一緒させていただきました。なお濱田先生は平成19年(2007)にご結婚されており、奥様の弥生先生(六段・師範)にも大変お世話になりました真生会を運営していく上でも奥様の存在はとても大きいものであったでしょう。

この先も長く濱田先生にご指導いただくつもりでいましたが、思いがけず72歳という若さでご逝去され、現世において直接ご指導を乞うことができなくなってしまったことは、あまりに残念で正に痛恨の極みというべきかと思います。この先は、これまでのように「ただ濱田先生のご指導についていく」、という姿勢では稽古を続けることができません。しかし、非才で未熟な自分にできることは、やはり「濱田先生のご指導を受け継ぎ、その技と心を忘れず、ひたすら探求していく」ということしかないと考えています。開祖、先師、そして濱田先生へと引き継がれた「真の合氣道の探求」、それこそが自分にとっての「完遂すべき自己の使命」であると考えます。

これまでの濱田先生のご指導とご厚情に心から感謝を述べると共に、これからも天からお導きいただくことを、心からお願い申し上げたいと思います。

 ~ 2023年7月11日、先師の100回目のご生誕日に ~

2019年12月 本部道場(熊本)にて

合氣道真生会川崎高津道場 吉見新

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