合氣道真生会川崎高津道場 活動報告

2025.03.30

砂泊諴秀先生の合気道

自分(吉見)は開祖の高弟で熊本の万生館合氣道館長であった砂泊諴秀(すなどまり かんしゅう)先生(1923-2010)にお会いし、直にご指導いただける機会が何度かありました。

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砂泊諴秀先生は昭和17年(1941)に東京で合氣道開祖・植芝盛平翁先生に内弟子として入門、兵役を経て戦後は熊本に拠点を移し、主に九州での合氣道普及に尽力、昭和36年(1961)に開祖より合氣道九段を允可されると共に九州師範長に任命され、昭和44年(1969)に開祖がご逝去されて後は合気会から独立して万生館合氣道(一時は合氣万生道と改称)を開設、平成22年(2010)に87歳で亡くなるまで合氣道の探求と門人の指導に勤しまれていました。

開祖と砂泊先生 昭和31年春(1956)

砂泊先生は「合氣とは愛なり」という開祖の教えと技とを一体のものとすることを大切にされ、腕力を用いない、相手にも無理のかからない技を探求され、その理法を「呼吸力」と称して老若男女、合氣道歴の長短に関わらず全ての門人に分け隔てなく丁寧に教えてくださる素晴らしい先生でした。多数者掛かりや武器技のスピーディーな演武でもよく知られ、特に昭和60年(1985:先生60歳過ぎ))に開催された友好演武会の動画が広く見られているようです。

特集記事が掲載された武道雑誌

自分がよくご指導いただいた80歳過ぎ頃の砂泊先生の手は、取ると薄紙のように軽く、何もされていないのにスーっと自分の体が軽くなってフラフラと不安定になってコロンと転がされてしまうようなとても不思議な感覚でした。そのような感覚を与えてくださった合氣道の指導者は、自分がお会いした複数の会派の何十人という合氣道指導者、高段者の中でも砂泊先生だけでした。それでいて当時20歳代だった自分のような若輩の門人にも丁寧に接してくださり、ご自宅に招いていただいたことも何度かありました。

自分の合氣道人生の中で、砂泊先生にお会いし、何度も手を取らせていただき、お話を伺うことができたことは、大変貴重な「宝物」のような経験でした。

砂泊先生には心の底から感謝していますし、その教えを受け継いで合氣道を続けて来られたことを、本当に嬉しく思っています。


万生館合氣道本部道場にて(熊本)

ご自宅にて(熊本)

ご逝去一年前にいただいた四段の証書

本部道場(熊本)

砂泊先生の著書

吉見 新

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