合氣道真生会川崎高津道場 活動報告

2021.10.06

武道ってなに? ~ 武道・武術・格闘技の違い

一般的に、…中には「専門家」の中にも混同して安易な比較をしたがる方が多くいますが、武術、格闘技といったものには様々な分類があり、それぞれ目的も在り方も大きく違います。

一般的に現代日本で見らるものでは以下のような4つの大きな分類があるかと思います。

実用戦闘術

犯罪者を制圧する逮捕術、敵兵を打倒する軍隊格闘技など、現実の場で実際に武力として行使される戦闘術です。逮捕術など治安維持目的の場合は殺傷力の高い武器は使えず、相手を必要以上に傷つけない(少なくとも建前では)といった制約があります。軍隊格闘技ではいかなる兵器、いかなる戦闘術を行使してでもとにかく勝つことが目的になります。日本の古武術も戦国時代まではこの実用戦闘術としてのあり方が主要でしたが歴史の中で変化していきました。精神性やルールを伴わない純粋な「護身術」もここに含まれるでしょう。

②格闘スポーツ

元来は殺傷を目的とする「格闘」を「スポーツ」、即ち「運動を伴う楽しみ」に変化させたものです。試合・競技を行う場合は場所、時間などを制約し、一対一、武器なし、目潰し・金的なし・・・など安全、公平を目的に様々なルールを定めます。その他にも観客を楽しませるためなど興行上の理由によるルールが定められている場合も多いです。武器はほぼ使われません。レスリング、ボクシング、ムエタイ、ブラジリアン柔術などがあります。相撲も形態としてはここに含まれるでしょう。


③武術(日本の古武術・伝統武道)

江戸時代以前から伝わる合戦や決闘、不意打ちへの対処を想定した戦闘術とそれに備える心法です。元の姿は「実用戦闘術」ですが、伝統的思想や信仰の影響を深く受け、更に200年余りの平和な江戸時代において存在意義の模索を経たことで心身修養法としての在り方も強くなりました。刀、槍、弓矢、薙刀など武器を使うことが多く、ある創始者からの系統を「流派」と呼び、江戸時代後期では千以上の流派がありました。現代でも香取神道流、鹿島新当流、柳生新陰流剣術、宝蔵院流槍術、竹内流柔術、小笠原流弓馬術などなどおそらく百近い流派が関係者の方々の努力により各地で伝えられています。元来はほとんど試合は行われず、定められた「形」を繰り返し稽古することが中心でした。江戸後期に竹刀や防具が大きく改良されたことで、剣術、槍術などで稽古の一環として試合が行われるようになりました。なお、総合格闘技などで目にする「柔術」は柔道から変化したもので、古武術の「柔術」とは技法、稽古法、理念などが大きく異なり、「格闘スポーツ」に分類されます。

④武道

古武術を元に明治時代以降に生まれました。銃砲火気兵器の発達と明治政府の近代化(欧化)政策により武術の実用的必要性が薄まる中、近代的道徳、体育の理念を取り入れ、より心身修養法としての意義を強化することで衰退の危機にあった武の伝統をつなげたのです弓道、剣道、なぎなた道、柔道、合氣道などなどがあります。全く武器を使わない武道も多く、また、一つの流派でも刀、小太刀、槍、薙刀、棒など様々な武器を使うことの多かった古武術に比べ、剣道のように武道ごとで使う武器が限定されていることが多いです。多くの武道で試合・競技が行われており、格闘スポーツ同様に安全、公平のための様々なルールを設けています。


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これらが混同される理由は、おそらく原始の「戦闘」をルーツとしているという共通点があるからでしょう。一般の方が混同するのはやむを得ない面があると理解できます。しかし現在ではそれぞれ目的も求められる姿も大きく違い、同じ価値基準で比較できるものではなく、似ているところがあるからと安易に同一視するべきではありません。例えば同じ「鉄」という原料から生まれた切る道具でも、「包丁」、「のこぎり」、「はさみ」ではそれぞれ形状も用途も大きく違い、一つの価値基準でどれが優れたものだと決めることはできません。


ごっちゃにするとこんな変な状況になります・・・

もちろん、それぞれ全く無関係というわけではなく、現代においても相互に影響を受け、与え合っています。未分化で発展途上なところがあることも否めません。互いに学び、よいところを取り入れることは意義のあることだと思いますが、大切なのはそれぞれの目的や在り方を正しく理解し、正しく発展させ、正しく用いることであると思います。自分が稽古している合氣道は「武道」です。武道は武技の稽古を通して心身を共に向上させていくことを目指す道です。決してケンカ・暴力の技術ではありません。

武道も軍国主義政策が強調された時代には「実用戦闘術」としての在り方を求められました。昭和初期の頃には剣道や柔道もそうであったように合氣道も戦争への協力が求められ、開祖も意に反して複数の陸軍、海軍機関に出張指導を行っていました。万生館合氣道前館長の砂泊諴秀先生は、戦時中の昭和17年ごろ、東京中野にあった陸軍憲兵学校へ開祖が指導に赴く際の随行役であったそうですが、そこで指導されたのは二ヶ条、三ヶ条、小手返しなどしっかりと相手を固める技であったと語っています。

〈 二ヶ条極め 〉

しかし戦争の道具に利用されることは本来の武道の理念には全く反したことです。開祖の道歌に「合氣にて、よろず力を働かし、美しき世と、安く和すべし」というものがあります。柔道の理念にも「自他共栄」という言葉があります。武道の目標はあくまで平和で豊かな世界を創り、守り、発展させることへの貢献です。浅はかな考えに囚われて道を間違わぬよう、広い視野と真摯な探求心を持って真の武の道をしっかり歩んでいくことを心掛けたいと思います。


合氣道真生会川崎高津道場 吉見新

〈 参考図 〉 


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