合氣道真生会川崎高津道場 活動報告

2022.12.07

他会派の講習会に参加しました

2022年11月23日(水・祝)、東京三鷹で開催された合気会の道場などが主催した合同講習会に業務担当の吉見が参加しました。

ただ他会派と言っても、この講習会における二人の講師の一人は親徳館合氣道(熊本)の本多理一郎師範という方で、自分たちと同じく先師の門下にあった方です。本多師範とは20年来の交流があり、以前には東京での演武のお相手をさせていただいたこともありました。

本多師範は昭和42年(1967)に長崎で合氣道に入門され、昭和44年(1969)には開祖のお名前で初段を允可されたそうです。自衛隊に勤務し、任地の熊本、沖縄の駐屯地などでも指導、平成7年(1995)に七段に昇段、現在は親徳館合氣道を主宰されています。

この講習会は13時から17時の4時間(途中休憩あり)のうち、前半を本多師範、後半を合気会の宮崎師範(七段)が指導するという形式でした。参加者は20歳前後の若い方々からご年輩の方まで50名余り、女性も10名前後いたようでした。3日前の中野の演武にもいらしてくださった春風館合氣道の堀先生の他、自分が前に稽古していた横浜の道場からも複数名参加しており、何人かと言葉を交わして懐かしい気持ちを感じました。

親徳館合氣道の本多師範と

春風館合氣道の堀先生と

本多師範の稽古は体さばきと片手取り、綾取り、諸手取りでの呼吸技、四方投げなど真生会と近い形の内容で、合気会の師範は体の動かし方に始まり、片手取りと諸手取りの呼吸法、肩取二教、諸手取り入身投げ、正面打ち三教などでした(合気会の二教、三教は真生会の二ヶ条、三ヶ条に相当します)。合気会の皆さんはパワフルで動きが激しく、手を掴むのも常にエネルギー全開といった感じで稽古の後半にもなると皆さんかなり体力を消耗している様子でした。そういった「いつもと違う相手」、「いつもと違うスタイル」の中で、自分は川崎高津道場の稽古の際と同様に、心を穏やかに、力を抜き、相手にも無理がなく、無駄に体力を消費しない(余計な力や動作を使わないということで)ことを心掛けながら取り組み、いろいろと考え、感じるところがありました。

講習会の後は師範方と主な参加者で懇親会を行うということで自分も本多師範からお声掛けをいだだきましたが、残念ながら所用があり失礼させていただきました。皆さんだいぶ激しく動いていましたから、稽古後のビールはさぞかしおいしかったことでしょうね…

他の会派の指導方法を体験し、いろいろな方と手を取り合うことは、日ごろの自身の稽古を省みる上で大事な経験になると思います。そうした中で今回は、改めて開祖の精神を大切にした先師の教えをしっかり受け継いで稽古していきたい、という思いを強くしました。

「合氣とは、愛なり」、この心を忘れた合氣道は歩むべき道を見失って本来の在り方から逸脱し、見当はずれの場所をさまよい続ける浮浪者になってしまいます。合氣道とは何か、開祖はそれを明確に語り残しておられます。その教えこそが、合氣道修業における「道しるべ」であり、「基本中の基本」なのではないでしょうか。


~ 追記 ~

講習会が開催された三鷹のスポーツ施設のロビーに昭和中期の卓球世界選手権優勝者であり、引退後は世界卓球協会の会長を務めた荻村伊智朗氏(1932-1994)の展示がありました。中学校で卓球部員であった自分がかねて尊敬している方であったので、思いがけない出会いに驚きました。荻村氏は少年期から三鷹に住んでいたのだそうです。

荻村氏が世界卓球協会会長であった際には、主催した世界選手権において当時も犬猿の仲であった韓国と北朝鮮が合同チーム「コリア」として参加、イスラエルとパレスチナの代表選手が共に壇上に上がっての選手宣誓を行うなど、世界平和を訴える様々な快挙を実現させました。その精神は「合氣にて、よろづ力を働かし、美しき世と、安く和すべし」という合氣道開祖の願いに共通するものであったと思います。

明日12月8日は、1941年、既に中国との戦争(1937-)が泥沼化していた日本がイギリスに対しマレー作戦、アメリカに対し真珠湾攻撃を決行し、アジア太平洋戦争に突入してしまった忘れてはならない日です。それから81年が経ちますが、いまなお世界各地で戦火が絶えることはなく、開祖の願い、合氣道の真の目標の大切さを強く感じさせられます。


合氣道真生会川崎高津道場 吉見新

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