合氣道真生会川崎高津道場 活動報告

2022.06.18

剣に学び、剣に捉われず

日本武術の歴史と成り立ち、理法を考える上で、刀剣の存在は極めて大事です。ただ、日本人は日本刀を愛するあまり、「刀が合戦の主力兵器だった時代はほとんどない」という事実を忘れがちなように感じます。

鑑賞の対象として日本刀を愛好する方々は非常に多いですし、古武術の指導者、研究者の中にも剣術至上主義的な方が少なくありません。しかし、どれほど剣技に熟練し、例え国宝級の名刀を用いたとしても、全長1m前後の刀で2mを超える薙刀や3mを超える槍に対抗するのは至難の業です

古代以来、合戦の主力兵器は第一に飛び道具(弓矢、鉄砲)であり、それに続く白兵戦の主力兵器は長柄(ながえ)武器でした。即ち古代では矛(ほこ)、中世では薙刀(なぎなた)、戦国時代からは槍(やり)、近代では銃剣(じゅうけん:ライフル銃の先に短刀を装着して槍のように使う)です。戦闘においてはリーチの長い武器を使用する方がはるかに有利であり、幕末のごく一時期を除けば刀剣は常に補助武器という存在でした。

戦国時代の合戦図

しかし日本人の刀剣好きは現代に始まるわけではなく、古代から既に武力や品位を象徴する存在として他の武器とは違う扱いをしてきました。皇室の「三種の神器」の一つが剣であることや、「刀は武士の魂」といった言葉がそれを如実に示しています。

その理由は一つに「姿の美しさ」があり、もう一つには「最も身近な武器」であったことが挙げられます。前述のように、合戦で白兵戦の主力となる武器は長柄武器でしたが、日常生活でそれを持ち歩くことはほとんどありませんでした。しかし、刀剣は鞘に収めて帯に吊るすか差し込めば両手が自由になるという携帯の便利さによって古代から常に貴族や武士たちの身近にありました。そのため、外装を美しく飾った刀剣を持ち歩くことで自身の階級を示し、平時に勃発した戦闘には刀剣で対応したのです。

なお刀剣を特別な武器として扱うのは日本だけに限られるわけではないようで、ヨーロッパや中東など世界中で同様の傾向が見られます。歴史上の多くの王侯貴族の肖像画が剣を携帯した姿で描かれており、フェンシング発祥の国であるフランスでは誇りある問題解決の手段として中世から20世紀まで剣による決闘が行われていました。中東のオマーンやサウジアラビア、南アジアのスリランカなどの国旗には刀が描かれています。刀剣、そして刀剣による戦いを美しく誇り高いものとする観念は国や民族に関わりなく育成されてきたのです。日本の「侍(サムライ)」が世界的に人気なのも、常に刀剣を携帯し、その操作に長けているイメージが強いことが大きな理由の一つではないでしょうか。

日本で室町時代半ば(15世紀)ごろから成立の始まる古武術の諸流派においても最も隆盛したのが「剣術」であり、特に戦乱のなくなった江戸時代中期にはほぼ完全に剣術が武術の主流となっていました。武士にとって剣術は心得があって当たり前の「必須の技能」である一方、その他の武術は「好きな者だけやればいい」といった程度の影の薄い存在になっていきました。更には武士は刀で戦うものであり、本来は合戦の主力となる槍などの長柄武器や鉄砲は下級兵士の使うもの、という認識まで形成されていきます。既に江戸時代には偏った武術観がかなり広まっていたのです。「刀は武士の魂」という言葉もそういった社会の中で生まれたものでしょう。

しかし、本来の武術を研究する上で、日本の歴史を通じて主力の兵器であった長柄武器の存在を軽視することはできません。そうした時、合氣道の稽古で杖を用いることにはとても大きな意義を感じます。

開祖・植芝盛平翁先生は青年時代の兵役では教官に代わって指導するほどに銃剣術に練達し、壮年期以降は槍術(そうじゅつ)も得意としていたそうです。合氣道では昭和初期には既に杖も用いられていたようですが、戦前の頃は時勢を反映してか木銃(銃剣術の練習具:約166cm)が多く使用されており、戦後になって杖がそれに代わりました。

杖は約1.3mと長柄武器としてはかなり短い部類となりますが、その操法には槍や薙刀との共通性が多く見られます。柄の持ち方がほぼ固定されている刀剣と違い、長柄武器は左右の手を持ちかえたり前後に移動させたりと幅広い操法が可能です。いかに優れた剣術家であったとしても、経験がなければ長柄武器をうまく操ることはできませんし、長柄武器の使い手の動きを予想することも困難です。

更に長柄武器は古代から近代に至るまで世界中で用いられてきました。杖を使うことで、応用的に様々な長柄武器の操法とそれらへの対応術を考えることができ、武道としての技法研究の幅が非常に大きく広がるのです。

中国武術の長柄武器

加えて合氣道には自分の操作する杖を相手に掴まれた場合の投げ技、極め技などが多数ありますが、長柄武器を用いる武道・武術でこうした技法を有するはものは意外と多くありません。しかし、長柄武器の最大の弱点はその長さゆえに柄を相手に掴まれてしまう可能性があることです。そうした場合の対応策は武術的に有用だったはずであり、現代の護身術として考えた時にも必要不可欠な技法です。

日本武術において剣術が中心的な存在であったことは間違いなく、その理法は槍術、薙刀術、体術などなど他の様々な武術にも大きな影響を与えています。日本武術を理解する上で剣術の研究は必須です。

しかし、剣が全て、剣術だけできれば十分、という狭い考え方では武術も歴史も本当の理解はできないと思います。剣道、なぎなた道、柔道、空手道といった一般的な現代武道と合氣道との大きな違いの一つが、複数の武器術と体術を併せ持ち、徒手対徒手、徒手対武器、武器対武器、対武器多数者といった様々な状況での稽古法があることです。これは武道・武術の歴史を学んで行く上でとても大きな意味があると思います。

歴史上の「戦闘」には兵器を揃えた集団対集団の合戦、平常時の遭遇戦、突然の襲撃などなど様々に違った場面があり、武士・兵士は弓矢、鉄砲、薙刀、槍、刀、短刀、徒手…と様々な方法で状況に応じて柔軟に戦いました。

武術の歴史を学び、現代の武道の在り方を考えていく上で、狭く偏った視点だけに捉われていれば思考は薄っぺらなものに留まります。

そうならないためには、幅広い視野と柔軟な心を持ち、どこまでも探求し続けようとする姿勢が大切だと思います。

合氣道真生会川崎高津道場 吉見新

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