合氣道真生会川崎高津道場 活動報告

2021.09.04

やっぱり受身は大事です ~護身術とは…?

まあ、ちょっと(?)お恥ずかしい話なのですが、実は先日お風呂場ですっ転びました。

まさに脱衣所から風呂場に足を踏み入れた瞬間、つるん!と滑ってそれは見事にすてーんと・・・。しかも夜中の2時頃です(ご近所の皆様ごめんなさい)。それはさておき、自分でちょっと「おおっ!」って感じたのが、転んだ瞬間、ちゃんと左肩を下に体を斜めにし、頭を上げて「受身(うけみ)」の姿勢を取っていたことです。


〈 諸事情によりペンギンでイメージしてください 〉


おかげで、どこにも大きなケガはなく、左肩を打ってちょっと痛めたくらいです。まあ、大きなケガをしないで済んだのは、転んだ位置がちょうど風呂場の中央部で壁や突起物に頭をぶつけずに済んだことなど「運」的要因も大きく、珍しくこのろくでなしに神様が情けをかけてくださったな・・・と感謝に尽きませんが、やはり改めて感じたのが「受身って大事だなーっ」ということです。

もし頭を打って昏倒したり、大きなケガをして動けない状態になっていたら、かなりこっ恥ずかし姿で発見されることになったであろうとそら恐ろしくなります。いや、もしや自分は気づかないうちに事切れていて、いまの自分は霊体で風呂場に実体が転がっているのではっ!?とかオカルト的な疑惑を覚えて風呂場を見に行ったりとかしましたが、とりあえずそんなことはなさそうでした。テレビの観過ぎですかね・・・。

まじめな話、「護身術」という観点から見て「受身」非常に大切だと思います。自分は幸いこれまでの人生で暴漢に襲われたりケンカ、騒乱に巻き込まれることがなく、戦闘術的技法を実際に用いずに生きてくることができました。しかし、受身には過去にも少なくとも2度は命を救われています。どちらも10年以上前の話ですが、一度めは原付に乗っているところを横から乗用車にぶつかられた時です。体は数メートル吹っ飛ばされましたがほぼ無傷で済ました。自分ではわかりませんでしたが、見ていた人が「あんた上手にくるっと回っていたよ」と教えてくれました。二度目は自転車に乗ってたところ、やはり横から乗用車にぶつかられ、低速だったので飛ばされたりはしませんでしたが、車の下に引きずり込まれそうになったところ、受身でサッと飛び出して逃げ、さらにそこに別の車が向かってきたのでまた元の方向に受身を取って衝突を回避しました。この時は割と思考がハッキリしていて、「今は受身だっ」と咄嗟に判断して動いたように記憶しています。

〈 二度目の状況 〉



そもそも車にぶつかられたのには自分の不注意もあるでしょうから、決して自慢気に話せるようなことではありませんが、そんなこともあって、自分は昔から受身というものをとても重要に考えて、普段の稽古でもしっかり練習するように心がけています。何年か前に熊本に行った時には濱田師範長に直々に受身をご指導いただきました。更に他の川崎高津道場の仲間はご年輩の方や運動に自信のない方も多く受身はあまり取れないため、投げる感覚などを養ってもらうために自分が何度も全員の技の受身を取ることが普通になっています。おかげで若い頃より今の方が受身は少しだけうまくなったように思います(笑)。

いずれにせよ、自身の護身術としても、日々の稽古をお互い安全かつ効果的に行うためにも、受身はとても大事なものであると思います。川崎高津道場の仲間たちにも、できる範囲で構わないので、練習を積んでもらいたいなと思います。



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さて、「護身術」ということで少し補足しておきます。最近世の中では色々な怖い事件が起きています。電車の中で凶器を振るって暴れる人、街中でいきなり薬品を浴びせかける人、世界的に見ればかなり安全といわれる日本でも残念ながらそう安閑としてはいられないようです。

そこで「護身術」というと「こういう時は関節技がいい」とか、「いや打撃だ」、「催涙スプレーかスタンガンか」・・・と何かが起こってからの対処方が話題にされがちですが、はるかに大事なのはそれ以前にまず「危険を察知すること」だと思います。はっきり言って見えないところから不意に凶器で襲撃されればどんな優れた武道家、格闘家でも回避するのはほぼ不可能でしょう。どんなにムキムキに筋肉を鍛え上げても背後からナイフでサクッと急所を刺されれば全く意味はありません。

当然、全ての危険を事前に察知することなどは不可能でしょうが、日頃から周囲の様子を見る習慣が身についていれば、随分違うのではないかなと思います。そこで世の中の人々を見ていると、電車の中でも街中でも歩いている時でさえ、目はスマホを注視し、耳はイヤホン塞いで全く周囲を気にする様子がありません。あるいは仲間内での会話にのみ集中していて全く周りを見ていない場合もあります。いわゆる「スキだらけ」そのものです。

塚原卜伝でしたか、戦国時代の頃の兵法家の話として、その弟子が街中を歩いていた際、馬が足を蹴り上げて来たのを(当時、街中には乗用・運搬用に普通に馬がいました。現代の車やバイクみたいな感じです)さすが先生のお弟子さんは見事にサッと身をかわした、と他人から伝え聞いて、「馬は蹴り上げるものなのだからそもそも近くを通ることが油断である」と逆に弟子の未熟を嘆いたと伝えられています。

合戦が日常茶飯事で闘争・暴力の絶えなかった時代の兵法家なればこそ、戦闘の技をどれだけ練磨しても護身には限界があり、危険を事前に回避することこそが重要であることが身にしみてわかっていたのでしょう。合氣道開祖は周囲の状況を察知する能力が非常に高かったようで、ちょっと信じがたい多くの逸話が伝えられています。そのあたりも「不世出の武道家」とされるゆえんの一つでしょう。

余談ですが、武道が「礼」を重んじることも、一つには余計な恨みを買って身に危険が及ばないよう事前に防ぐ護身術としての意味があると自分は考えています。

( こうなってからではどうしようもないです )

合氣道の本当の理想は危険や騒乱のない平和な世界の実現ですが、その道のりはまだはるか遠く、日々の生活の中でも色々なことがあるでしょう。せめて武道を稽古している人間としてはできるかぎり事件や事故で残念なことにならないよう、日々心がけを持って生きていきたいものだな・・・と思います。皆様もどうぞ氣をつけてお過ごしください。

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~ おまけ ~


先日道場の仲間から庭で採れたという「ゆず」をいただきました。とりあえずお豆腐に絞って食べてみました。おいしかったです。。


ついでに、夏の稽古の後はなぜかこんなものが飲みたくなります。もう夏も終わりですが・・・。

合氣道真生会川崎高津道場 吉見新

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