合氣道真生会川崎高津道場 活動報告

2022.01.22

平和な時代に合氣道ができること ~合氣道の真の目標

先日、合氣道真生会と交流のあるカナダの道場に所属する女性が川崎高津道場の稽古に参加してくださり、普段にも増してとても楽しい稽古(と懇親会)ができました。その際に思ったことが、「平和な時代に合氣道ができて本当にありがたい」ということでした。

それというのも、アジア太平洋戦争(1941~1945)において、当時英(イギリス)連邦に属していたカナダと日本は「敵国」でした。

現代日本人は原爆や空襲、沖縄戦の強いイメージからアメリカと戦争をしたことは知識として知っていても、同時にイギリス連邦、中国、オランダなど多数の国々と戦っていたことはあまり知らないのではないでしょうか。戦争末期にはソ連(現在のロシア)とも戦争状態に入ります。

元々、アジア太平洋戦争は、「日本軍が中国に侵攻(1937年から日中戦争)」→「制裁としてアメリカが石油や鉄資源の対日輸出を禁止」→「日本は資源を求めてアメリカ、イギリス、オランダなどが領有していた東南アジアに侵攻」と同時に「反発して攻撃して来るであろうアメリカ軍の真珠湾基地(ハワイ)を攻撃」(1941年12月)という経緯で始まりました。

アジア太平洋戦争の戦域 (数字は日本人死者)

〈 沖縄に上陸する米軍 〉

日本軍はイギリス連邦の植民地であった東南アジア、南洋の各地で激戦を繰り広げ、互いに膨大な数の死傷者を出しました。当時イギリス連邦には東南アジア、インド、オーストラリア、アフリカなど世界の多数の国々が属していて、カナダもその一つでした。当然、イギリス連邦軍の中にはカナダ人兵士もいたし、現地に移住していたカナダ人もいたでしょう。

地元でもあまり知られていないのですが、横浜の自分の住まいから徒歩30分ほどの場所に「英連邦戦死者墓地」があります。

なだらかな丘陵状の敷地は埋葬者の出身地別にエリア分けされており、カナダのエリアもあります。ここに埋葬されているのは、主にアジア太平洋戦争中に捕虜となって日本で亡くなった1500人余りの英連邦兵士です。極めていたましいことであり、慎んでご冥福をお祈り致します。

英連邦戦死者墓地(横浜)


一方で、今回稽古にご参加くださった女性との会話の中で、戦争中カナダ在住の日系人は、アメリカでもそうであったように収容所に収監されて自由を奪われていたということを伺いました。カナダと日本の間にはそうした悲しい歴史もあったのです。

しかし、今はこうしてお互いの国境を越えて楽しく合氣道の稽古をすることができます。それは、いま日本が平和だからです。もちろん、現代日本にも様々な危険や問題があり、残念ながらあまり安全とは言えません。しかし少なくとも国同士が敵対し、殺し合うような戦争状態ではありません。戦争の時代から今日の平和な社会を作り、維持して来るには先人たちの多大な努力があったことでしょう。本当にありがたいことです。

2022年1月の交流稽古

開祖の道歌の一つに、「合氣にて、よろづ力を、働かし、美(うるわ)しき世と、安く和すべし」というものがあります。合氣道開祖・植芝盛平翁先生はずっと平和な世界を祈り続けていました。

開祖の生きた時代の日本は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、アジア太平洋戦争と戦争に次ぐ戦争の時代でした。人間同士が殺し合い、国土を破壊し合う悲惨な現実を見続けた開祖にとって、平和な世界は最も大きく切実な願いであり、合氣道に託した真の目標であったと自分は思っています。

濱田師範長や自分が教えを受けた先師も戦時下に青年時代を送り、アジア太平洋戦争が泥沼化していく時期に兵士として召集され、しばらく合氣道を離れることになりました。苦しい実体験があったからでしょう、先師の平和への思いは強く、合氣道が和合の武道であることを常に語り続けていました。

世界にはまだ多くの紛争状態の国々があり、敵対、いがみ合いも絶えることがありません。しかし、まだまだ遠い未来ことかもしれませんが、いつの日か、開祖が目指したように世界の人々が平和に、豊かに過ごせる日が来ることを心から祈ります。

合氣道真生会川崎高津道場 吉見新

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