合氣道真生会川崎高津道場 活動報告

2026.06.27

カナダからのお客様 2026年6月

2026年6月14日(日)の稽古に、カナダの合氣道修行道場よりガブリエル=ディ=マルコ道場長(五段)とあゆみ指導員(三段)がご参加くださいました。

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お二人とも既に何度もいらしてくださっていますが、毎回、決して近くはない日本でのご滞在地からわざわざ泊まりがけでいらしてくださるのですから、なんとも申し訳ない限りです。いつも本当にありがとうございます。

ここ数年の6月としてはわりと涼しく過ごしやすい空気の中で、稽古はいつもより少しだけ早く開始し、通常通り礼拝、体操と進めましたが、続く体さばきの練習では基本の形は控えめにし、せっかくの機会なので武器を使った多数者掛り(短剣五人掛り、剣杖五人掛り)を行いました。武器多数者掛りは川崎高津道場で新しい仲間が増える以前に行っていたものをこの一、二ヶ月の間に復活させたところなので、まだ仲間たちも動きに不慣れさが目立ちまくっている状態ですが、ガブリエル先生は初めてであろう形にも関わらず、見事にパパっとさばいて見せてくださいました。さすがは合氣道歴30年以上の道場長様の貫禄です。

自分はこの多数者掛り、武器多数者掛りが、武道のあり方を考える上で大変重要な意義があると考えています。柔道や空手、ボクシングや総合格闘技の「試合」とは異なり、かつての合戦はもちろん、平時に勃発した戦闘も(例えば赤穂浪士の吉良邸討ち入り(1703)や桜田門外の変(1860))、相手が武器を持ち、更に一人とは限らないのが当然のことでした。

「桜田門外の変(1860)」の図

そういった状況では素手の一対一の場合とは動き方、技の行い方、心の在り方も大きく違います。開祖が昭和30年頃に編まれた「合氣道練習上の心得」の中にも、「合氣道は一を以って万に当たるの術なれば常に前方のみならず四方八方に対する心掛けを以って練習するを要す」という一節があります。しかし現在、砂泊先生の系統にない合気道で普段から多数者掛り、武器多数者掛りを練習している道場はかなり少ないのではないかと思います。これに限らず、世間一般の合気道界において、開祖の教えが顧みられることが少ないことがとても残念です。開祖の教えは合氣道の原点であり到達目標であり、多くの武術、武道を修練し、魂の根本を磨く修業を積み重ね、度重なる戦争の時代に過酷な現実を目の当たりにしながら編み上げられた珠玉の教導です。それを学ばずして合氣道を行うということは、卵なしでオムレツを作ろうと言っているようなものです。

続く呼吸力の練習は、砂泊先生の頃から行っている基本の三種に少し別の形も加え、時間をかけて丁寧に研究するようにしました。両足を揃えて両手をグータッチし、相手を浮かせて横に動かす練習は、自分が勝手に思いついて時々川崎髙津道場で行っているものでが、この方法だと足がふんばれないため腕力が使いにくいですし、重心移動の力も使えません。そもそも手を掴まれていないので世界一の怪力の持ち主でも無理に行おうとすればただ拳が滑って外れてしまうだけで、「力ではできない」ということがよくわかる練習方法の一つではないかなーと思っています。ちなみにこの場合、少しでも前に押す力を使ってできたことにしてしまうことは、ただの「ごまかし」であってなんの意味もありません。「ごまかし」でできたふりをしてそれでOKと思える人は、生涯をかけても本当の呼吸力を身に付けることはできません。

その後の技の練習では半身半立片手取りの呼吸技と、立ち技でいわゆる「呼吸投げ」を行いました。実はこの「呼吸投げ」が今回のメインテーマの一つでした。それというのも、この日より一ヶ月半ほど前の5月始めこと、出かけた先で偶然に他の会派の道場の稽古を見かけたのですが、その時に行っていた呼吸投げがどう見ても形だけで行っている様子で、全く投げているという感じがしなかったものですから、「呼吸投げはちゃんと投げられる技なのだ」ということを伝えたい気持ちになったのです。

思い起こせば、自分も学生の頃にその道場と同じ会派に連なる合気道サークルにも所属していたのですが、卒業生であるそのサークルの指導員が運営する道場で行っていた呼吸投げも、全く「投げられた」という感覚のあるものではなく、指導員、ないし上級者が呼吸投げのフォームを行なったら(例え手が触れていなくても)受け身を取らなくてはならないという、意味不明な練習方法でした。そのルールを知らず、受け身を取らなかった自分について、指導員が「あいつは受け身が下手だ」と陰口を言っていたという話を後で聞き、その道場にはもちろん二度と行きませんでしたし、指導員が訪れる際のサークルの稽古にも参加しませんでした。その道場にはメジャー会派の名前に引き寄せられてか、当時10名ほどの会員さんがいたかと思いますが、そのような道場で何年も稽古している方々は大変な不運だと思います。そうした道場の稽古で身につけた合気道は外では全く通用しないでしょう。自身の所属する道場の先生を信頼し、そこで努力することはもちろん悪いことではありませんが、中には疑問を感じる指導を行っている道場や指導者もこれまで少なからず見て来ました。合氣道の源流を学び、客観的に「本来どうあるべきか」ということを考え、探求していく姿勢は、真の合氣道を求めていく意志があるなら、必要不可欠のものであると思います。

それはそれとして、この日の技の稽古は、呼吸技ばかりでは特にまだ入門して月日の浅い仲間たちには難しく気疲れしてしまうかもしれないということで、何年も前にカナダのお二人が興味を示していらしてその後すっかり忘れていた短剣取りを行って終了しました。

 

 

なお、今回も僭越ながら自分(吉見)が稽古の進行役を務めさせていただきましたが、ガブリエル先生は遠からず六段の師範になられるでしょうから、その後は自分たちの方がご指導いただくことになります(師範になられてからも川崎髙津道場にいらしてくださればの話ですが...)。下級者が上級者(より高い段位、称号の保持者)の指導を仰ぐ様式は、武道において当然の常識であり、曲げることの許されない鉄則です。その際にはどうぞ寛容と忍耐の精神をもってご指導をお願いしたいと思います。あまり厳しくダメ出しされると、チョコチップクッキーよりも壊れやすい自分の心は粉々に砕け散って再起不能になるのが必定です…(苦笑)。

ちなみに自分はといえば、これまでの経過から考えて、真生会にいる間に六段をいただくことはないであろうと考えています。まぁ、努力しても何にもならないことは、生きていればいくらでもある普通のことです。こんな甲斐性なしの元で稽古しなければならない川崎髙津道場の仲間たちにはちょっと申し訳ないと思いますが。

例によってだいぶ予定の時間を過ぎてしまい、バタバタと片づけて20時半ごろから高津駅前の「サンマイメ」での懇親会に席を移しました。このお店については、以前に飲み放題で日本酒を飲む場合は事前に知らせておいて欲しいと言われていたので、電話予約の際に「まあ、(夏なので)そんなに飲まないとは思いますが…」と言いかけたら、「いえ、よく飲まれるので覚えています」と言われてしまい(このお店を利用するのは半年に一度程度でまだ数回目なのですが...)、ちょっぴり恥ずかしい思いをしました。飲兵衛軍団ですみません…。それはさておき、懇親会では合氣道のことや砂泊先生、濱田耀正師範長の思い出、お互いの日ごろの様子、熊本の本部道場の様子、ガブリエル先生のルーツであるイタリアのことなどなど、例によって砂泊先生と濱田耀正師範長にもお写真でご参加いただきながら、様々なお話ができました。ありがたかったのは、この一年の間に入門した仲間の中にけっこう英語が話せる方がいて、いままではあゆみ指導員の通訳頼みだったガブリエル先生と直接会話ができていたことでした。ガブリエル先生もいつもより少しリラックスされていたのか、珍しくカナディアンジョーク(?)も飛び出していました。よく食べ、よく飲み、よく話し、とても楽しい懇親会となりました。

自分として今回の稽古は、悪い頭で色々考え過ぎたせいもあってか、内容的にも自分の状態としても不満足なことが多く、非常に反省点の多い稽古となってしまいましたが、ガブリエル先生、あゆみ指導員は「今回も楽しかった」と言ってくださいましたし、川崎高津道場の仲間たちにとっても、学ぶことの多い、とても有意義な稽古になったことでしょう。

ガブリエル先生、あゆみ指導員、川崎高津道場の皆さん、今回も本当にありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します!

川崎高津道場 吉見新

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