合氣道真生会川崎高津道場 活動報告

2021.03.06

合気道の「呼吸力」 ~ 無重力空間に導く技

今回は、自分が初めて「合氣道の呼吸力」というものを明確に体感した少し昔の話を書き記しておこうと思います。

「呼吸力」という言葉は合気道界全体で使われていますが、その解釈は会派によって大きく違います。自分たちの稽古している「呼吸力」は、自身の力をすっかり抜いてしまうことで相手の力を無力化し、腕力を使わず、また相手が無理を感じることなく技を行う理法です。

〈 川崎高津道場の稽古 〉

※関連ページ「合氣道の「呼吸力」」→ https://aikidoshinseikai-kawasakitakatu.cloud-line.com/kokyuryoku/

正確な日付は覚えていませんが、それは2005年前後の夏のことだったと思います。まだ先師(開祖より九段を允可され、九州師範長に任命されていた高名な師範)がご健在で、自分も濱田師範長(合氣道真生会代表)もその門下にあった頃のことです。自分は月に一度開催されていた稽古会に参加するため週末に横浜から熊本に赴いていました。

〈 震災前の熊本城天守 〉

当時の自分は二十代の後半で段位は弐段だったと思います(ついでに居合道三段、少林寺拳法初段、さらに恥ずかしながら筋トレ中毒で基礎体力だけならプロ野球選手並みの数値でした)。ちょうどその時期は、横浜の道場で一緒に稽古していたことのあるアメリカ人のデニス=クラーク氏が熊本に住んでおり、氏のマンションに泊めてもらって熊本の道場の稽古に参加していました。そのころ、道場での日々の稽古は濱田師範長が、月一回の稽古会では既に80歳前後であった先師が指導をされていました。

事件(?)が起きたのは、日曜の午後に開催された稽古会が終了し、各々道着から私服に着替え、いつも稽古会後に開催される親睦会も終了した後のことでした。既にほとんどの参加者は帰途につき、道場に残っているのは10名いるかいないかであったと思います。自分は道場の中央あたりでイギリス人女性とデニスさんと三人で先師を囲んで話をしていました。ちなみに稽古会の運営役であった濱田師範長はお疲れだったようで道場の隅で寝転がっていました(笑)。当時、道場は濱田師範長のお住まいでもありましたので。

話を元に戻すと、先師は体験参加の20歳前後の息子さんと共にいらしていたイギリス人女性に合氣道の説明をしていたのですが、話の流れの中で左隣に座っていた自分に「取りなさい」というようにパッと左手を出されたのです。

〈 多分こんな状況でした 〉

自分は反射的に両手でその手を取りました。・・・確か取ったはずです。なぜそのような表現をするのかと言えば、先師の手は空気のように軽く、「取った」ということさえ感じられなかったからです。そして次の瞬間、正座していた自分の腰はふわ~っと上に浮き上がり、コロンと後ろに転がされてしまったのです。「晴天の霹靂」とはこのことかと心の底から驚愕したのは40年を超える人生で後にも先にもこの時だけです。

先師は、毎回の稽古会で数十名に及ぶ参加者全員に幾度となく手を取らせておられましたが、その頃は既に一人一人を大きく崩したり投げたりすることはなく、恥ずかしながら未熟な自分にはその真意が理解できていませんでした。

〈 全員に手を取らせる先師の指導スタイル 〉 

しかし、この時は違いました。前述のように自分はそのころ既に弐段を允可されており、合氣道歴は10年近くに及んでいました。自分が所属する系列道場の稽古でも同様の形での稽古(呼吸力養成法や呼吸技)は行っており、指導者から「呼吸力」の説明も常々受けていました。自分自身も子どものクラスや後輩の指導も担当していましたし、在学中から出入りしていた大学の合気道サークル(合気会所属)に交じって学園祭のステージで演武を行い、体験を希望する学生を呼び上げて(柔道や空手の経験者もいました)ポンポン投げ飛ばすようなこともして、ちょっとわかっている気になっていました。

〈 出身大学での演武風景 向かって右端が吉見 〉

しかし、その時の先師の技から受けた感覚は、それまでのいかなる経験とはまるで次元を異にするものでした。

手を取った瞬間に、全く腕力を感じることなく、それどころか手が動いた感触さえないまま、まるでいきなり自分が無重力空間に放り出されてしまったかのような感覚になり、クルンと転がされてから改めて先師を見上げた時の自分の両目は、正にまん丸だったと思います。この時はじめて、呼吸力について「今まで教わってきたことも、自分の解釈もまるで違う!」と遅ればせながら気づき、「これは本気でやらねばならいない!」と強く思うようになりました。

その後はできるだけチャンスを逃さず年に2~3回ほどの頻度で熊本に赴き、先師とその内弟子であった濱田師範長に教えを請うようになりました。幸い、遠くから来ているということで先師にも濱田師範長にも大変親切にしていただき、先師の晩年のころには稽古会終了後にご自宅に呼んでいただき、数名の方々と共に2~3時間にも渡ってお話を伺えるようになりました。合氣道について度々実際に手を取らせていただきながらたくさんのことを教えていただきましたし、「はい、あなたもやってみなさい」と逆に手を取られた時には心臓が口のあたりまで飛び上がる思いがしました。先師のご趣味であったハーモニカ演奏の時に隣で歌詞帳をめくるお手伝いをしたこともありますし、「あなた、これ半分食べませんか?」と言われて親子丼弁当を分けていただいたこともあります(笑)。特に、2010年の春、ご逝去される半年ほど前、隣に座っていた自分の顔をパッと見て、「あなた方がこれ(合氣道)を伝えていってください」と仰られた時のことは脳裏に強く刻まれています。それが、一人かつての道場を離れてもなお、今もなけなしの根性を振り絞って合氣道を続けている最も大きな理由です。

これまで他会派も含め数多くの師範方の手を取らせていただきましたが、先師のように腕力を全く用いず、フワリとこちらの体が浮き上がるような「呼吸力」を最も感じさせてくださったのは現在合氣道真生会の師範長である濱田先生でした。なればこそ、先師亡き後は是が非でもこの先生(濱田師範長)に教えていただかなければならない、と強く思い、現在に至っています。

自分の如き端下の門人にも親切に接し、丁寧にご指導くださる濱田師範長には、なんとかお見捨てなく今後もご指導を賜りたいと思っています。いつか、先師のお言葉に従って「合氣道の精神」にかなう真の合氣道を伝えていけるようになるように、濱田師範長にはめいっぱい教えていただきたいですし、道場の仲間たちにもたくさん稽古につきあっていただきたいと思います。

自分を支えてくださる全ての皆様、これまでたくさんありがとうございます。そして、この先も何卒何卒宜しくお願い致します。


呼吸」を説明する濱田師範長

濱田師範長と吉見


2021年3月6日 合氣道真生会川崎高津道場 吉見新

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デニス=クラーク氏と吉見 2014年頃?

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